翻訳グセはなぜ悪い?(単語編)
Feb 26, 2021/ 更新日:Mar 1, 2021
翻訳をしてはいけない
前回、英語と日本語では、それぞれの言葉で概念を切り取る範囲が異なることを述べた。 今回は、単語の意味の切り取られ方が元々は同じであったが、派生する意味の広がりが違うケースを見てみよう。
日本語の「豚」と英語の“pig”で考えてみる。 これらの単語が指す動物は、両言語間で大差ない。だから“pig”は日本語の「豚」と覚えても、つまり日本語を介して記憶しても何の不都合はなさそうに思う。
しかし、コトはそう簡単ではない。 日本語では「豚」は、いい意味で使われないことが多々ある。「あのブタやろう」とか「ブタになるよ」という言い方は、基本的には誰かを貶める意味が込められている。容姿のことでブタといえば、「不細工」という意味の俗語になる。
一方、英語で“You are a pig.”と使うと「お前は食い意地が汚い」とか「君はがさつだ」というニュアンスがこもる。またスラングで「警察官」という意味も持っている。
英語でも日本語でも、マイナスのイメージがあることは確かだが、“pig”と「豚」というそれぞれの単語から派生するイメージは異なってしまうのである。
日本人が「豚」という言葉を聞いて、行間を読んで普通に想像する意味の広がりと、ネイティブが“pig”と聞いて想像する意味の広がりは大きく異なるものである。 “pig”を「豚」と訳して日本語で覚えていれば、その言葉を受け取ったときに脳内で広がるイメージは日本語の方に異存する、つまり捉えるべきき意味の広がりががつかめないのである。
イメージがつかめなければ、「ブサイク野郎」と言ってやりたいときに“You are a pig.”といって、全く「ブサイク」の伝えたい部分が間違って伝わるなんてことが起きてしまうのだ。
このことからも、途中に日本語を介してしまうと、使える英語としての学習のパフォーマンスが下がるということがわかっていただけると思う。 日本語を介さずに、英語のみでその意味を捉え続けることをトレーニングしないと、英語がスラスラと使いにくいのは想像に難くないはずだ。